「動的平衡」とは何か。「動的平衡」の心躍るポイントを解説

教養

こんにちは。えっくすはっかーです。

今日は、生物学系の名著『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』についてのお話です。

この『動的平衡』、初版は2009年で、私が読んだのもおそらく10年以上前。

それでも、「生物系の書籍の中で一番印象に残っているもの」と言えばこの本が真っ先に頭に浮かびます。

今回、改めて読み返してみましたので、今の自分の知識や考え方も踏まえて内容を振り返っていこうと思います。

私たちはなぜ学ぶのか

「なぜ学ぶ必要があるのか」

この問いには、私自身も考えたことがありますし、私なりの回答も持っています。

私自身の回答としては「能力を伸ばし、人生の可能性を広げるため」というもの。

『動的平衡』の著者、福岡伸一さんの回答は、
「私たちを規定する生物学的制約から自由になるため」
というものです。

いかにも生物学者らしい回答ですが、その内容をもう少し見ていきましょう。

本能的に捉えた世界と実際の世界

私たちは、身の回りの物を判別したり、何かを判断したりする際に、より直感的に判断ができるように物事をシンプルに捉える思考の癖があります。
これは、『自分を変える教室』にもあったように、人類が今まで生き延びてくるために伸ばしてきた1つの能力です。

私たちの目には虹は七色に見えますし、天井のしみは人の顔に見え、何か数的な変化を見ると直線的に増加(あるいは減少)するように感じます。

しかし、『Think clearly』にもあるに、実際の世の中は想像以上に複雑です。

虹に色は区切りのない連続するスペクトルで、天井のしみは何かを表現したものではなく、数的な変化は直線的なものではなく曲線的なものが圧倒的な割合を占めます。

私たちは、世界を図式化し、単純化することで生き延びてきました。

しかし、それは生存自体が唯一最大の目的だった時に適した能力。
今、私たちの目的は、生存そのものではなく、生存の意味を見つけることに変わっています。

私たちは学ぶことによって自らを生物学的規制の外側へと試行を広げることが可能になる、と福岡氏は主張しています。

そして、世界は私たちの気が付かない部分で、依然として驚きと美しさに満ちている、と。

私たちを形作るもの

「汝とは汝の食べた物そのものである」

これは、健康を意識している方なら耳にしたことがある言葉かもしれませんが、生物学的にもその通り。
通常の生活を送っている場合、人の身体は100%口から摂取したものから構成されます

そう考えると、「摂取するものの質が大事」という話になります。

それはその通りなのですが、大事なことは、食べた物はそのままの形で取り込まれるわけではない、ということ。

私たちは他の生物(動物や植物)を摂取して生きていますが、その生物1つ1つは大量の情報の塊と捉えることもできます。

DNAは、遺伝子の配列を記録している媒体のようなもので、それが人体の設計図である。
このような話は一般的に広まっていますが、情報を記録しているのはDNAだけではありません。

タンパク質も「アミノ酸配列」という形で情報を持っています。
そして『動的平衡』ではこの「アミノ酸配列」の並び替え、つまり情報の並び替えこそが生命活動である、としています。

「動的平衡」の正体

「コラーゲンは肌にいい」と言われますが、口からコラーゲンを摂取しても消化時にそのアミノ酸配列はバラバラに分解されるため、コラーゲンをたくさん食べても肌のコラーゲンが増えてつるつるお肌になるわけではありません。

摂取したタンパク質はバラバラのアミノ酸配列として吸収され、全身を構成するアミノ酸配列の中に組み込まれていきます。
皮膚や髪の毛や爪など、表面上変化のないように見える部分もミクロな目で見ると、構成するタンパク質のアミノ酸は数日間で入れ替わっています。

このように、ミクロな視点で見ると常に入れ替わっているのに全体としては同じような形態を保っている。これこそが「動的平衡」なのです。

この「動的平衡」を維持するため、私たちは食品タンパク質を大量の消化酵素で分解して取り込みます。そしてこの消化酵素もまたタンパク質。

消化活動の場は、外から来たタンパク質と、体内から分泌したタンパク質がくんずほぐれつしながらバラバラのアミノ酸にまで分解していきます。
そしてアミノ酸にまで分解されると、それはもともと体外から摂取したものなのか、体内から分泌したものなのか、その見分けはつきません。

60グラムの食品タンパク質の摂取とともに70グラムの消化酵素を摂取する。
食事(消化・吸収)とは、食品とともに、食品以上に私たち自身をも摂取する壮絶なバトルの場なのです

動的平衡でサスティナブルを実現する

動的でないものは、変化し朽ちていきます。
それに対し、動的平衡な状態を維持する仕組みがあれば、大きな形態を維持できる、よりサスティナブルな状態が実現できます。

静的であるガラスのコップにひびが入ればそれはもう戻ることはありませんが、動的である人間の皮膚に傷がついた場合、数日で元通りの姿に戻ります。

真にサスティナブルな状態を目指すのであれば、静的で頑強なものを目指すのではなく、動的で柔軟なものを目指すのがよいのかもしれません。

私たちの内側には生命がいる。それでは私たちの外側は。。。?

最後は少しロマンチックでSFチックなお話を。

私たちの身体を構成する細胞の中には、ミトコンドリアという器官があります。
そのミトコンドリア、かつては全く別の生物であったと考えられています。

長い時間接して存在するうちに、細胞内に取り込まれてしまった結果、細胞内小器官のような形に落ち着いたようです。

つまり、私たちの内側には、私たち自身が気づかぬうちに別種の生物が存在している、ということになります。

そして、私たちがその存在を意識していないように、ミトコンドリアもきっと、自分が存在している環境が1つの大きな生体の中の細胞の内側だとは認識していないことでしょう。

同じように、私たち自身をミトコンドリアの目線で捉えなおすと。。。。。

私たちが認知している先、宇宙の外側には、とんでもないサイズの動的平衡が存在しているかもしれません。

Amazon.co.jp: 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか : 福岡 伸一: 本
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